ねむるあなたに





――これだけは言っておきたくて。







――わたし、しあわせだったわ。


 そう言って、“彼女”は微笑んだ。


――死ぬ、その瞬間まで、しあわせだったわ。……そう、伝えて頂戴。……出来るのかしら? 貴方の、その、からだのなかにねむっている、わたしのお寝坊さんに。


 手を、取られる。“彼女”の、今はもうかたちを持たない筈の手に、最早誰のものでもないこの手を。
 そうして、ふたりの手を、合わせ、微笑むその瞳に、星が煌めいたように見えた。
 錯覚か、それともまぼろしというものは煌めくこともあるのか。







 まるで玻璃越しに手を合わせているよう。
 貴方の手は、確かにあたたかく脈打っているというのに、まるで死んでしまっているかのように感じるのは、やはり、わたしが死んでいるからなのかしら。それとも……貴方があの人では最早無いから?

 浮かんだその考えを振り払うように、かつていつもそうしていたように、笑った。――お前の眼がそうやって煌めくときは、俺はやり込められてばかりなんだよなぁ――そう言って、あの人が苦笑いを浮かべていたことを思い出す。
 すると、失った筈のからだのなかから、こころの中心から、あたたかいものがこみ上げて来た。

 ふと、思う。これがたましいか、と。
 死してからだを失ってもなお不滅の“わたし”のたましい――わたしそのもの。


――そこに居るのは解っているのよ。だってわたし、ずっと見ていたもの。わたしたちの、いとしい子供たちを、ずっと。


 泣いて、くれたでしょう? わたしの為に。
 あれは貴方? それとも、わたしのあの人? ……そんなことは判らない。けれどこれだけは確か。変わってしまった貴方のなかに、わたしを想うこころのかけらがねむっていたということ。
 その、かけら――あの人のたましいに向かって、言葉を紡ぐ。


――嘆かないで。わたしはしあわせだったのだから。


 確かに、わたしは辛い目に遭った。その迸りを受けた娘にも、随分と辛い目に遭わせてしまった。けれど、それでもわたしはしあわせだった。最期までしあわせだった。わたしのたましいの叫びを、あなたに伝えたい。その為に逢いに来たの。

 そしてひとつ、お願いがあるの。この大陸に独り立つ貴方に。
 わたしの代わりに、あの子たちに道を示して。しあわせだったわたしの死を嘆いて、くらいところに分け入ろうとするあの子たちに、ひかりの道を。

 あなたはまだ死んではいない。貴方のなかに確かに生きている。
 だからいちどだけでいい、微笑んであげて。わたしの代わりに、あの子たちに。

 わたしの為に泣いてくれた貴方なら、出来る筈だわ。







 胸が、騒めく。
 あのときもそうだった。私が純粋に“人”としてのみ生きていた頃、心通わせた女性……その末路を聞いたとき。

 そうだ、それまでにも、様々な必要に応じて、“彼女”に関して思い返すことがあった。
 だが、そのような出来事があった、ということはしっかりと記憶しているが、そのときに感じたであろう“もの”は、今はもう霧の彼方のように、夢のなかの出来事のように、朧に霞む――
 それは私が最早、彼女と心通わせた“人”ではないのだから、当然だと言える。
 だが、あのときは……

 永遠に失った筈の、“人”である自分が、嘆き、涙を流したのだ。

 ゲッシュに縛られたこのからだ――“人”として生きることは最早叶わず、“竜”として生きることしか出来ず、だが決して“竜”にはなれない、“人”であるこのからだ――そのうちから、こみ上げてくる……これは、なんだ。

 ふと、思う。これがたましいか、と。
 誓約は確かなものの筈だった。“人”としての存在の全てを捧げた。だがこのこみ上げるものは、たましいの奮えは、他の何よりも確かなものとしてここに在る。

 そうだ、私は……

 私のたましいをすくい上げたこの手のことを、煌めく眼のことを、“彼ら”に伝えたい。
 結局のところ、私たちは良い夫婦ではなかった。ふたり過ごしたときは短かった。通う感情は愛のように激しいものではなく、恋ですらなく、その芽生えのような淡いものだった。だが……


――あなたに出会えて良かった。


 そう。私たちは確かにしあわせだった。お互いにかけがえのない存在と出会い、喜びをともにした。叶うなら私は、このことを伝えたい。いとしい私たちの子らに。

「ありがとう。」

 口からすべり落ちたその言葉に、彼女は、わたしもよ、とこたえた。







――ねむるあなたに、喜びをともにしたあなたに、伝えたかったの。










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【合歓】 喜びをともにすること。


 雰囲気劇場。文章としてはアレです。グダグダです。(元々文章力無いんだがな...)

 ええと、狙いとしては絵の補足なので、シンプルに、一点集中、みたいな。場景描写がっつりカット、お互いかたり合うのみ。
 ...内容薄いだけ、という結果に終わった気が。ム。

 コレ書きながら思いました。10章でセリスの両親が会いに来るところ、他の子供たちにも両親が会いに来ていたらいいなぁ、と。